深山's小説「桜」

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 道を歩いていたら、突然、桜の花びらが降ってきた。見上げると盛りを過ぎた桜が多くの花びらを風に舞わせていた。あてもなく散歩していた俺はいつの間にか桜並木を歩いていたらしい。俺はふと死んだ弟のことを思い出した。
 確かに弟は難病にかかっていた。その為、普通の人よりもずっと短くしか生きられなかったし、出来ないことも多かった。だけど、悲しくなどはないと思う。ずっと、母についてもらっていて、溢れんばかりの愛情を受けていて。寂しさと独りで生きることしか教えてもらわなかった俺よりやっぽどいい。
 ずっとそう思いこんでいたからだろうか。弟は家族ではなく何時も敵だった。全ての恨みは弟に向けられた。勉強が出来ないのも、運動が出来ないのも、愛情をうまく表現できないのも全て弟のせいにしてきた。
 だから、弟が死んだ時、悪いと思いながらも少し嬉しかった。これで全ては解決する。弟の死によって俺の人生に栄光の光が差し込んだのである。
 しかし、俺の人生は一向に良くなっていない。どこに行ってもみんな弟の話をする。
「あの子は心の優しい良い子だった」
「どうして死んじゃったんだろうね、あんな良い子が」
「出来の良い弟じゃなくて兄貴の方が死ねば良かったのにね」
 誰もが弟を賞賛し、褒め称える。でも、俺はそんな言葉は聞きたくなかった。もっと俺に目を向けて欲しかった。しかし、弟は死んでもなお、俺から全てを奪っていく。俺は段々と疲弊していった。

 疲れ果てた俺がいつの間にか桜並木が綺麗な街道を歩いていたのは運命だろうか。綺麗な桜はいつか散る。散るからこそ美しいのだと今ならそう思える。その桜と弟をいつの間にか重ね合わせていた。
「桜はね、本当は散りたくないんだ」
 ふと、脳裏に弟の声が蘇る。あれは確か弟と話した最後の会話だった。
「散りたくないけど、散らないように足掻くとみっともないでしょ。桜は美しくあるべきだっていうみんなの期待を裏切れないんだ」
 そう言うと、弟は病室の窓からまだ蕾の桜を見る。その目は穏やかでいて、それでいて悲しげな目だった。
「もし、もしもだけど、病気が治ったら桜を一緒に見に行かない?」
 唐突に弟が呟く。あんなお願いを弟がするのは初めてだった。わがままなど言っても届かないものだと悟っていたからだろうか?
「あぁ、いいよ。でもな、治らなくてもここからでも見えるじゃん」
 実際、弟の病室からは桜がよく見えた。でも、言ってはいけない言葉だったと今なら分かる。俺はあのとき何にも考えていなかった。なんて無神経だったんだろう。弟の言葉の裏にある小さな希望にも気付かなかった。
 弟は小さく首を振った。分かってもらえないだろうけど、と呟き、天を仰ぐ。
「治ってから見ないと桜が綺麗だとは思えないんだ、僕は」
 その言葉は今もはっきり耳の奥にある。

 今年の桜はもう散っている。来年にはまた花を咲かすだろう。でも、弟は生き返らないんだなぁ。そう思うと涙が一筋、頬を伝った。


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