深山's 小説「浄化剤」

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「ほんとですか、なおるんですか。」
医師は曖昧な顔をしている。
「しかし、問題があるんです。この薬はまだ実験段階でして。副作用があるかも知れません。それでもよろしいですか。」

「妻の命が助かるなら。」
私は頷いた。

妻は順調に回復し、今日退院する。
薬の副作用も今のところ見られない。
「お世話になりました。」
私と妻は頭を下げ、車に乗り込む。

「くれぐれも何かありましたら、すぐにご連絡をください。」
「わかりました。」

私は力強く頷いて、アクセルを踏んだ。

「おかえり。」
息子が妻に抱きつく。

「ただいま、優ちゃん。ばーばときちんとお留守番出来た。」
「おかえりなさい。優ちゃんはとってもいい子だったよ。ねぇ。」

優志は自慢げに頷く。
「そうなの、偉かったわね。」
こんな何気ない光景が見られることが嬉しかった。
また、元の生活に戻れると思っていた。

妻が帰ってきて、一週間。
あきらかに何かが以前と違っている。

私と息子は困惑していた。
妻の入院中なにかと家の手伝いをしてもらっていた養母が帰ると、妻はさっそく家事を始めた。
そのやり方が尋常じゃないのだ。
家のリビングは塵一つない。
いつもの手抜き料理が見たこともない素晴らしい料理に変わっている。
言葉遣いも何だか家族じゃないみたいだ。

「先生、これはやっぱり副作用でしょうか。最近はもっとひどくなってきて、私たちが帰ってくると玄関で三つ指ついて出迎えるんです。どうしたら元の妻に戻るんでしょうか。」
医師は少し笑っている。

「そうですか。薬についてはまだよく分かっていないので、何とも言えませんが、一つ方法があるかも知れません。」
「それは、なんなんですか。」

私は真剣だった。

「奥さんを怒らしてください。」
「えっ。」

私は意味がわからなかった。

「つまり、奥さんは薬の作用によって心までもがきれいに浄化されてしまったんです。元に戻すには前と同じぐらいに心を汚さないといけない。そのためには」
「妻を怒らせないといけない。」

医師は頷く。
「なかなか大変ですが、よく考えてください。結構楽しいと思いますが。」
医師は笑っていた。

私たちは池にきていた。
「こんなとこにきて何するんですか。」
妻が無邪気な顔で尋ねる。
私と息子は作戦を実行する。
息子は何だか楽しそうだ。
いや、息子だけではない。
私もわくわくしている。

私たちは池に入り、蛙を捕まえる。
それを妻の前にもっていくと、用意していた爆竹を取り出す。
妻は不思議そうにこちらを見ている。
そして、私は爆竹を蛙の尻に差し込んだ。
「ひっ。」
妻の顔が歪む。
つづいて、息子も突き刺す。
「何するんですか、あなた達。そんなことしたら、蛙が。」
蛙達は一層激しく鳴いている。

妻は蛙から目をそらす。
私は息子に目で合図する。
私はポケットからライターを取り出す。

「朋子。」
妻の名を呼ぶ。
妻がこちらを向くと、私は、笑顔で爆竹に火を点ける。
そして、妻に向かって投げる。
息子も私と同じようにする。
妻の目は一心に蛙に注がれている。
次の瞬間、蛙が破裂した。
妻の顔に蛙の破片が飛び散る。
妻は動かなかった。

私と息子は笑った。
妻の顔があまりにも間抜けに見えたのだ。
すると、妻は池のなかに入っていった。
「おい、朋子。」
私は少しやりすぎたかなと思った。
すると、妻は蛙を捕まえ、私を呼んだ。
「あなた。」

私がそちらを向いた瞬間、蛙をこちらに投げ付けてきた。
蛙は見事に私の顔に命中した。

そこにはいつもの妻の笑顔があった。



それから、妻の症状はかなり改善された。
けど、まだ日に二回は掃除するし、ちょっとした冗談が通じないときがある。
だから、今、息子と二人で妻を怒らす作戦をたてている。

これは妻のためなんだ。
けっして、自分達の楽しみではない。


そういうものの心はひどく弾んでいた。


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