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深山's 小説「まっど」

コンコン。ドアは軽くノックされる。
「どうぞ」
 五十嵐がそう言うと、若い看護師に連れられて一人の男が入ってきた。中年で、小太りかつ年相応に髪が後退しているまさに中年親父のルックス。中年親父は俯いて、出来るだけこちらを見ないようにしているようだった。
「こちらへお座り下さい」
 五十嵐が目の前の椅子を差し出すと、中年親父は目を伏せたまま椅子に腰掛けた。
「えーと、田中さんですね」
 五十嵐が尋ねると田中は小さく頷いた。
「カルテによると見た人の死期が分かるとおっしゃってるらしいんですが、そうなんですか?」
 田中はまたもや小さく頷いた。怯えている小動物のように身体を小刻みに震わせている。
「そうですか。では、まずは心理テストをしてみましょう。ここにリンゴの絵を……」
「本当なんだ」
 田中はすがるような声で言う。
「誰も信じてはくれないが本当なんだ。俺は目を合わせた人の死期が見える。嘘じゃない。これが始まったのはつい一ヶ月ほど前の話だ。俺はいつも通り会社に行った。すると、何故か部長の身体が透けて見えたんだ。その一週間後、部長は死んだ。それから、人混みでも時々、身体が透けている人が見えるんだ。俺はもう怖くて、怖くて」
 五十嵐は笑みを崩さず、看護師の佐々木に指示を出す。
「大丈夫です。あなたは何も悪くありません。ただ、少しばかり働きすぎたみたいですね。今から、精神安定剤を投与しますからそうすればそんな幻想は一切見なくなります」
「信じてくれ」
 田中は立ち上がると、五十嵐の身体を揺さぶる。しかし、すぐに止め、五十嵐の身体をじっと見詰める。
「どうしました?」
 五十嵐の問いに田中は俯いて、答える。
「先生、あんた、もうすぐ死にますよ」

 田中が連れて行かれると五十嵐は深い溜め息を一つ吐いた。精神科医である五十嵐は仕事上様々な患者と出会うが自分が死ぬと言われたのは初めてだった。
「変わった患者さんでしたね」
「まぁ、精神科に来る人は大抵変わってるけどね」
 そう言いながら、五十嵐は学生時代を思い出す。精神科医なんかにはなるもんじゃない。あんな変人を相手にする仕事などはしなくていい。そう何度も親に説得された。確かに、今思い返せば精神科医などにはならない方が良かったかもしれない。
 自分でも精神科医などは向いていなかったと思う。他の精神科医はやってくる変人達の話を聞くことに耐えられるらしいが、五十嵐はとても出来そうにない。どうしても途中でそんな馬鹿な話があるかと口を挟んでしまうのだ。
「私、先生が心配です。こんな仕事をしてたらいつか変なやつに刺されるんじゃないかって」
 佐々木はとても不安げな顔でそう言う。佐々木と五十嵐とはただの同僚ではなく、いわゆる男と女の関係だった。
「さっきの患者の言葉を信じてるの?」
 佐々木は小さく頷く。
「大丈夫だよ。僕は人に恨まれるようなことはしちゃいないからね」

 ドンドン。ドアは強く叩かれた。
 ドアを開けて入ってきたのは、髪を長く伸ばした少女とおばさんだった。華奢で、髪が床にまで着きそうな少女と太った豚のようなおばさんの対比はなかなかに見事だった。少女は五十嵐の顔を見て、不気味に口の端を持ち上げる。五十嵐もぎこちなく笑顔を返す。
「どうぞ、お座り下さい」
 五十嵐が言うと、彼女はどすんと音を立てて椅子に座る。その勢いに椅子が軽くきしむ。おばさんはすいませんと言いながらも同じように椅子をきしませている。五十嵐は軽く顔をしかめながら尋ねる。
「木田亜紀子さんですよね」
 亜紀子はその問いには答えず、窓の外を見ている。窓の外には電線にとまった一匹のカラスがいた。五十嵐は溜め息を一つ吐くと、亜紀子の前に回り込んだ。
「質問に答えてくれるかな」
 すると、亜紀子は目を大きく見開いて、五十嵐の顔をじっと見た。そして、今度は突然笑い出した。
「亜紀子、止めなさい」
 母親の静止も聞かないで、亜紀子は笑い続ける。仕方がないので五十嵐は彼女の笑いが済むまで待った。
「で、症状というのは?」
 亜紀子の笑いが収まった頃、五十嵐は母親に尋ねた。
「実は、娘は人の心が読めるらしいんです」
「はい?」
「私もこんな馬鹿な話を信じてるわけじゃありません。でも、あまりにも突飛なことが起きるので……」
 がたん。亜紀子が急に立ち上がった音で母親の話は打ち切られた。
「ホントだよ」
 亜紀子はそう言い放つと五十嵐を指差した。
「先生の心読んでやろうか? 先生は浮気している。どう、当たったでしょ。うちのお母さんと一緒だね」
 亜紀子はそう言い放つとまた笑い出した。母親は血相を変えて、平謝りし、亜紀子を連れて部屋から出て行った。

「今日は変わった患者さんが多いですね」
「あぁ、そうだね」
 五十嵐は椅子に座って佐々木が淹れたコーヒーを口に運びながら、答えた。
「でも、彼らは本当に変わってるだけなんでしょうか?」
「僕が浮気をしたとでも」
「そうは言いませんけどね、先生。あの娘が先生が浮気しているって言った時、先生の顔、真っ青でしたよ」
「いきなりあんなこと言われたら誰だってびっくりするだろうよ」
「先生、いつまでコーヒーを口に運んでるんですか?」
 五十嵐がカップの中をのぞくともうすでに中身は空っぽだった。
「やっぱり動揺してるんじゃ……」
「そんなことない。そんなことはないよ、佐々木君。僕がそんなやつに見えるかい。浮気なんてそんな馬鹿げたことをするわけないじゃないか」
「そうですか」
 佐々木は冷ややかな眼で五十嵐を見下ろす。
「ほら、次の患者が待っている。あとで、ちゃんと説明するから」

 カンカン。固いもの同士がぶつかって放つ高い音。おそらくそれは骨と木片だろう。その音の後、丸刈りで高校生ぐらいの若い男が入ってきた。
「いや、良いところで入ってきてくれた。さぁ、こちらの席に座って」
 男は言われたとおり、椅子に腰を下ろす。いささか緊張しているのか表情が硬い。
「えーと、田崎君だね。君は透視が出来ると言っているそうだが」
「信じてもらえないかもしれないですけど、本当なんです。僕は野球部なんですが、その練習中にボールがぶつかってそれ以来透視が出来るように……」
 五十嵐は一つ大きく溜め息を吐く。今の五十嵐にはそんな突飛な話を笑って聞く余裕はなかった。
「まぁ、思春期って言うものはなかなかにやっかいだからね。様々なストレスも堪るだろう。それがこの事故をきっかけに噴出した。そう言うことだろう。取りあえず、心理テストをしてみよう。ここに沢山の人形がある。これを並べてくれな……」
「本当なんですよ! 信じてください。僕は本当にと……」
 突然、田崎が黙り込んだ。
「どうしたんだね、田崎君?」
 五十嵐が田崎の視線を辿るとそこには佐々木がいた。田崎は目を見開き、佐々木の胸元当たりを食い入るように見ている。
「田崎君?」
 五十嵐はしばらく視線を佐々木の胸元と田崎の目とを行ったり来たりさせていたが、突然何かに気付き、立ち上がった。
「きみ! いったい何を見ているんだ」
「いや、あの、だから、その」
「いいから出て行け!」
 五十嵐は田崎の肩を掴むと強引に部屋の外に追い出した。最後には彼のお尻に蹴りを一発入れた。
「まったくなんちゅうやつだ」
 五十嵐は興奮して息が荒くなっている。それを見て、佐々木は薄い笑みを浮かべる。
「あんな風な対応を取るなんて、先生は彼が本当に透視が出来ると思ってるんですね」
「いや、そんなことはありえない。ありえないが」
「私は彼は本当に見えるんだと思いますよ」
 佐々木は嫌みっぽく笑う。
「何を言っているんだ。人間の眼の仕組みはだね……」
「そう言う事じゃなくて彼が私の胸元を食い入るように見た。だからこそ、彼は透視が出来ていると確信するんです」
「高校生ぐらいの時分はなんでも妄想してしまうのだよ、佐々木君。精神的に不安定だからこそ見えないモノが見えると言ったりするんだ」
「先生は実は何も知らないんですね」
 佐々木の言葉に五十嵐は少しムッとする。
「それはどういう意味だね?」
 トントン。ドアが小さく、そして柔らかく叩かれた。五十嵐は仕方なく、会話を打ち切り、次の人、どうぞと言った。

 入ってきたのは髪の毛はぼさぼさで、顔が薄汚れている中年の女性らしき人だった。いわゆるホームレスのような風体で、ぶつぶつと何かを呟いている。
 五十嵐は取りあえず、椅子を勧めた。女性は言われたとおり、おとなしく座った。
「カルテには何も書いていないんですが、今日はどういった症状で?」
 五十嵐の問いに女は口の端を上げた。女はポケットからハンカチを取りだし、顔を拭う。さらに、髪の毛に手をかけるとそのまま髪の毛を取り外した。どうやらカツラのようだった。
「これでもまだそんな口がきけるわけ?」
 五十嵐は女性の顔を見て固まった。途端に五十嵐の顔は青ざめていく。
「隣の助手さんが浮気相手かしら?」
「えーと、あなたは誰ですか? 私にはまったく覚えが……」
「とぼけないで。あなたが浮気してるのは分かっているんだから。最近、何だか様子がおかしいと思って患者の振りをして来てみたら、受付の方が大声で話していたわ。あなたが助手の佐々木さんと出来ていること。どうせ患者は狂ったやつばっかりと思って気にしなかったんでしょうね」
「まぁ、ゆっくり話し合いましょうよ、ね」
「その必要はありませんよ」
 五十嵐が振り向くと後ろにはナイフをもった佐々木がいた。五十嵐は驚きと恐怖で椅子からずれ落ちた。
「私もうすうす感じてはいたんですよ。私、あなたと付き合う前に言いましたよね。浮気は絶対に許さないって」
「どこからそんな物騒なモノを」
 五十嵐の声は震えている。
「私の胸元に隠していたんです。だから、あの高校生は私の胸元を食い入るように見ていたんでしょうね」
「嘘だ。あんな狂ったやつの……」
 五十嵐は思わず後ずさる。
「狂ってなんていませんよ。皆さん、本当のことをおっしゃってましたし。一番狂ってるのは……」
 そして、佐々木はナイフを振りかぶったのだった。
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