深山's 小説「マウンドの上」

第4話

「いつまでへこんでんの?」
 俺は黙って無視する。誰とも話したくない気分だった。
「しょうがないじゃない、落ちちゃったものは。それに蓮君と一緒でしょ? よかったじゃない。また一緒に野球できて」
 鬱陶しくなって、説明しても無駄だって分かってるから、俺は自分の部屋へと引き上げた。誰とも話したくなかった。
 あの日、俺の体調は最悪だった。朝から下痢で上げ下しを繰り返し、本番だってそんな調子。いくら保健室で受験したって、そんな調子じゃ受かる訳もなく、俺は神様を恨んだ。
 で、結局志望校に落ちた俺は滑り止めである神坂高校に通うことになった。もちろん蓮と一緒に。
 ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。天井にはいくつかのボールの跡がある。
 そういえば小学生の時、よく天井に向かってボール投げてたなぁなどと妙な感傷に浸りながら目をつぶった。
 これでまた俺は蓮のオマケだ。蓮君の相方、蓮の親友、蓮とバッテリーを組んでる人。またそんな風に呼ばれるのだろうか?
 俺はこのままずっと蓮という看板を背負って生きて行かなくちゃならないのか?
 響く打球音。威勢の良い掛け声。そんな音を聞きながら、グラウンドを見つめる。
 うん、悪くない。というか、予想よりもはるかに上手い。神坂高校は今までの成績を見る限り、それほど強い訳ではないと思っていたが……
「達也、マウンド見てみろよ」柄にもなく、真剣な声で蓮が呟く。
 マウンドを見てみると、サイドスローのピッチャーが投げている。それも左利き。これほど変わったピッチャーはなかなか居ない。これならそうは打たれないはずだ。
「ここに俺と達也が加われば完璧だな」
 確かにこのレベルならいいところまで行けるはずだ。なのになぜ……
「俺、ちょっと挨拶に行ってくるわ」
 そう言うと蓮はさっさとグラウンドの中に入っていく。俺も慌ててついて行く。
「だれだ、お前らは。部外者は立ち入り禁止だ」
 かなりガッチリした体型の男が立ちふさがる。背丈もかなりでかい。
「俺達、来年入学するんですけど出来れば練習に参加させてもらえませんか?」蓮が今日来た本当の目的を告げる。
 男は少しだけ考え込み、少し待ってろと言うとマウンドに向かって駆けだした。
 しばらくして男が連れてきたのはほっそりとしたキャッチャーだった。ほっそりというか身体全体が小さく、線も細い。マスクを被ってなければ誰もキャッチャーだなんて気づかないだろう。「君たち、来年うちに入学するの?」キャッチャーが尋ねる。
「はい」蓮が威勢良く答える。
「そうですか。じゃあ、まず自己紹介してくれるかな」
「俺は西浦中学の大橋蓮。ポジションはピッチャー。こっちは五十嵐達也。ポジションはキャッチャー」
「僕はキャプテンの飯田です。大変悪いんですが、ウチではやっぽどの実力がない限り一年生は球拾いと決まってるんです。球拾いで良ければ、練習に参加してください」笑顔でそう言うと飯田さんはそのまま去っていこうとする。
「ちょっと待ってください」蓮の声に飯田さんが振り返る。
「西浦中学の大橋って聞いたことありませんか? 全国大会でも一、二を争う投手の」
 蓮は飯田さんの反応を伺う。
「もちろんあります」飯田さんは笑って答える。
「なら、なぜ俺に球拾いさせるんですか? 俺にはやっぽどの実力はないんですか?」蓮が矢継ぎ早に問いつめる。
 飯田さんは溜め息を吐くと蓮の目を見据える。澄んだ、深い深海のような目だ。
「所詮は中学野球です。あなたの試合を見ましたが、あなたはただ球が速いだけです。あのレベルじゃ高校生相手には通用しません。その程度のレベルでつまらないプライドを持っている選手などなおさら練習に参加させることは出来ませんね」
 飯田さんの言葉は静かだったが、確実に蓮のプライドを傷つけた。蓮の顔が紅潮する。
「じゃあ、中学野球がどの位のレベルか試してみますか?」
 蓮は挑発するような目で飯田さんを睨み返す。飯田さんはにこっと笑うと「いいでしょう。やりましょう」と俺達をマウンドへ連れて行った。
「勝負は三打席。僕が一つでもヒット性の当たりを打てなければ、君たちを練習に参加させましょう」
「いいんですか? あまりなめてると痛い目見ますよ」蓮はそう言いながら、ボールを俺のミットに投げ込む。いつもよりも速く、重い。
「もう肩慣らしはいいですか?」
 蓮がうなずくと飯田さんはゆっくりと打席に入る。足場を固め、バットを構える。人柄と同じように丁寧な構えだ。
 相手の情報は全くない。ここは様子を見ようと変化球のサインを出したが、蓮は首を振る。ただ速いだけの直球じゃないってことを示したいらしい。仕方なく、外角いっぱいのストレートを要求する。蓮の球ならここに来れば、当てることは出来てもヒットにはならねぇだろう。
 うなずくと蓮は振りかぶり、ボールを放つ。しかし、怒りのせいかボールが少し甘く入る。そのボールを飯田さんは見逃さなかった。
 綺麗に打ち返されたボールは蓮の頭上を越え、センター前に落ちた。
「そんなに力んじゃだめですよ」
 その言葉に、その笑顔に、蓮の苛立ちはさらにひどくなっているようだ。
 もう一度、変化球のサインを出したが、やはり首を振られた。一球はずせというサインにも首を振る。仕方なくもう一度さっきと同じところにサインを出す。
 今度はサイン通りのところにボールがいった。しかし、また気持ちいいほどの金属音と共にボールは打ち返される。あれだけ豪語するだけあってこの人、かなりの好打者だ。
「あと一打席ですよ」
 蓮は黙ったままだ。顔は紅潮し、完璧に我を失っている。
 もう一度、変化球のサインを出す。しかし、やはり蓮は首を振る。俺は頭を抱える。また中学最後の試合みたいにサイン無視されて、負けてしまうのだろうか。
「キャッチャーならね」飯田さんの言葉に我に返る。
「キャッチャーならピッチャーにサイン通りに投げてもらわなければなりません。投げてもらえないってことはつまり信頼されてないってことですから」そう言うと、飯田さんは俺に笑いかけながら呟く。
「このままじゃ負けますよ」
 俺は飯田さんをマスク越しに見て、そして「タイムいいですか?」と聞き、マウンドに向かった。
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